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​弘道館

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至善堂
正庁の奥にあり、御座の間をはじめ4室からなる。至善堂(しぜんどう)の名称は、斉昭が四書のひとつ「大学」の一節からとって命名したもので、「人間は最高善に達し、かつその状態を維持することを理想とすべきである」という意味がこめられている。藩主の休息所であり、また諸公子の勉学所でもあった。











至善堂御座の間
大政奉還後の慶応4年(明治元年 1868年)、慶喜は水戸へ下り、幼少時代を過ごした至善堂にこもり、静岡に移るまでの約4ヶ月間、謹慎生活を送った。











諸役会所
来館者控えの間。床の間の「尊攘」の掛け軸は、水戸藩の藩医で能書家で知られた松延年の筆。安政3年(1856年)に斉昭の命で書かれた

​                弘道館ホームページから

​弘道館散策ルートパンフレットから

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